あの眩しい青年は

いつも意識している訳ではないが、頭のどこかにひっそり存在していて、何かのはずみに思い出す人物というのが誰にでもあるはずだ。私にとって、外岡秀俊という男はそういう存在の一人である。たぶん、外岡秀俊という名前を知っている人は少ないと思う。いま、彼は朝日新聞の編集局長をしている。歳は50代の後半だ。先年、『情報のさばき方』という本を朝日新聞社が創刊した新書シリーズの一冊として出している。
私が外岡秀俊という名前を知ったのは、もう30年も前のことだ。村上龍のデビュー作『限りなく透明にちかいブルー』が話題になった年の秋だったが、その騒ぎのせいでマスコミには大きくは取り上げられなかったものの、文芸賞を受賞したある作品が静かに注目を浴びていた。タイトルは『北帰行』、著者の外岡秀俊は、まだ東大法学部の4年生だった。『北帰行』は、北海道から上京した青年が東京で挫折していく姿を、石川啄木の若き日々の軌跡と重ね合わせて描いた作品で、その知的な構成と老成した文体は、文学関係者の間で高く評価された。
当時、私は生意気盛りの文学かぶれで、村上龍には見向きもしなかったが、『北帰行』には完全にやられた。熱中したといっていい。30年経ったいまも、思い出せるセリフや文章がたくさんある。「さあ、外岡は次にどんな作品を書くだろう」、私は期待して彼の作品を待っていた。しかし、翌年の春、意外なニュースを知った。外岡秀俊、朝日新聞に入社。作家とジャーナリストの二足のわらじを履いている人は少なくない。きっと、外岡秀俊もその道を選択したのだろう。そう理解した。しかし、何年経っても外岡氏の新作は現われなかった。このまま、もう小説は書かないのだろうか・・・。彼のことが頭に浮ぶたび、そう思った。
現在までに外岡氏は数冊の著作を発表しているが、すべてジャーナリストとしての作品で、文学系のものは一作もものしていない。その最新作が『情報のさばき方』である。いまは編集局長という要路にあるので、小説を書く時間はないだろう。歴史を振り返ると、一作だけ残して去ったという作家は珍しくない。逆にいえば、誰でも一作なら書き上げられるということかもしれない。外岡氏は、もう小説は書かないと決意しているのかもしれないが、私はそうではないと揣摩している。彼は、いつかまた文学に戻ってくる、と。
一度、文学に傾倒し、しかも『北帰行』というハイレベルの作品を書くほどの才能をもった人物が、このまま文学に対して沈黙を貫くとは思えない。いや、思いたくないと言った方が正確だろう。定年後になるかもしれないが、やがて外岡氏に時間ができた時、彼はふたたび筆をとり、原稿用紙に向かうだろう。こういう時代だから、パソコンに向かいキーボードを叩くのだろうけれど。
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