日々感じていること、考えたことやいろいろな感想ブログ&日記でタグ「会話」が付けられているもの

「何か貴重品は入っていませんか?」
手荷物を渡すと、ホテルの従業員の女性が営業用の笑顔を浮かべて言った。
「現金で300万入っています」
すると彼女は、「えっ! アハハハ」と素っ頓狂な笑い声をたてた。

「現金で300万入っている」というのは、「貴重品は?」と訊かれた際の常套句である。
下らないリアクションだが、なぜかそう答えてしまう。

他にもいくつかある。
「ご出身はどちらです?」
「パリです」
たまに本気にする人がいる。真顔で言うんだから、信じる人に罪はないのだろうが。
「ほう、パリですか。いつまでパリに......?」
「父が大道芸人でしたので、ヨーロッパを根無し草のようにさまよいました。幼稚園はフィレンツェのラファエロ幼稚園。小学校はスウェーデンの王立グスタフ2世小学校、その後、パリに戻ってマリー・アントアネット中学からソルボンヌ付属第一高等学校を卒業しました」

健全な精神の持ち主は、途中で笑い出す。
「そりゃ、すごい。ハハハハ」
こうなれば、その後の会話は非常に円満、かつ円滑に進む。

だが、世の中、恐ろしいもので、時にはその大法螺を真顔で聞く人がいる。
こっちも話の成り行きで中止するわけにいかない。

「......で、大学は......?」
「西サモア大学です。荒川区の北千住にあります。電車で通える西サモアの大学って、知りませんか?」
「知りません。何を勉強されたんですか?」
「土木学部でした。道路標識を専攻しました」

相手は硬直し、自分の社会常識を総動員して話を検証する顔になる。
「冗談に決まってるじゃないですか、ちょっと、ちょっと」
そう言うと、一気に緊張感が解けた表情になり、しかし、もの凄く引きつった笑顔で笑ってみせる。
世の中、怖い。

こちらは「ホワイト・ライ(white lie =罪のない嘘)」のつもりなのだが、
さて、どう思われているのだろうか。

JR恵比寿駅で電車に乗ってきた女性が、「あら、こんばんは」と笑顔で話しかけてきた。私は品川駅で山手線に乗り、池袋へ向かっていた。誰だろう?
「いつも、この電車ですか?」と彼女は聞く。丸顔で、明るい笑い方が印象的だが、誰だか分からない。こういう場合、相手が女性だけに、「えーと、どちら様でしたっけ?」とは聞けない。もし聞けば、彼女は、<えっ? あたしのこと憶えてないの、失礼ね>と不快に思うだろう。さらには、<なんで、憶えてないのよっ? あたしが**だから? まったく男は......>と腹を立てるかもしれない。彼女の目に軽い怒りの陰が走ることを思うと、ゾッとする。勝手にそんな読みをするものだから、どうしても「どちら様?」とは聞けない。「ええ、池袋で東上線に乗り換えます。お住まいは、どちらですか?」。話しているうちに思い出すだろう、思い出せっ!
女性の歳を当てるのも苦手だ。実際の年齢よりオーバーした数を言ってはマズイからだ。そこである公式を使って対応することにしている。相手が40歳だと思えば、まず2歳差し引く。さらに90%の安全係数を掛ける。式にすると以下のようになる。(40-2)×0.9=34。そこで、「そうですねぇ、34歳か35歳ぐらいですか?」。相手が弾けるような笑顔で、「あら、お上手ねっ」と言われたら、その後の会話はスムーズに流れていくことになる。もし正直に「40歳ですか?」と聞いて、「37歳ですッ!」と言われた場合と比べれば、納得してもらえると思う。
「どうですか、先生の話。楽しいですか?」と彼女が聞く。世間で「先生」と呼ばれている人との付き合いは多い。(一体、どの先生だろう......?)。「ええ、とても勉強になります。楽しみにしています」「最近では、どの話が良かったですか?」。きた~っ! 具体的な質問。マズイ。なんで電車って、こんなにノロノロ走るんだろう、と思う。「全部、素晴らしいですよ、と言ったら、お世辞になりますかね?」「そうですね。でも、楽しくないって言えませんよね」「今後の予定は、どうなっていますか?」。こっちから聞いてみた。その返事を聞けば、きっと思い出せるだろう。「まだ決まってないんですよ」 。(おいおい、それじゃヒントにならないじゃないの......)
「前回は、参加されましたよね? たしか......」。いよいよ追い詰められた。「はい」と言えば具体的な質問がくるだろう。「欠席しました」と言えば、「え? 確か参加されてましたよ」とチェックメイトがくる可能性もある。一瞬、頭が真っ白になる。「え......、う...」「あらっ! ごめんなさい。じゃ、また」。電車が新宿駅に停まっていた。彼女は、あわてて降りていった。ふぅ、助かった。
いまだに思い出せない。彼女は誰だったのだろう。まるで川端康成の『弓浦市』という作品のような出来事だった。彼女は、本当に私を知っていたのだろうか?